
視界の端を行き来するものがひとつ、ふたつ、みっつ。害をなすものでは無いと言われても気になるものは気になり、宙を泳ぐそれらをヒイロは何と無しに眺めていた。
「ヒイロ」
「何だ」
「見て。こんなにもあわあわになったわ」
「そうだろうな」
リリーナが手を動かす度に泡が生まれ、その場に留まる限界を迎えたものから順に泡の山を旅立っていく。浮かぶ泡が多いということは、その大元となる山もそれなりの大きさであるということ。リリーナの背中でその手元が見えなくとも、状況は容易に推察できる。
「でも、驚いたわ。あなたがこれを買ってきてくれるだなんて」
「休めと言っても休まないからな」
「あなたが休ませてくれないのでしょう?」
思わぬ返しにヒイロはぐっと押し黙る。実際そうなのだから弁明の仕様も無い。今晩だって、泡風呂を出た後の予定は決まりきっているのだ。
「ふふっ…………ねぇ、ヒイロ?」
泡を纏った真白の背中がゆっくりと凭れ掛かってくる。眼前にあるのは後ろでひとつに纏められた髪と、露わになった項。ちらりと向けられる含みのある視線に反して、その頬は恥じらいをぎゅっと閉じ込めたかのように赤く色付いていた。
「わたくし、少しのぼせてしまったわ。連れていってくれるかしら?」
「…………」
ヒイロは溜息をつこうとし、寸前で飲み込む。何を言っても変わらないといるある種の諦念と、余計な発言をして変えたくないという願望が感情と呼ばれる領域の奥底で渦を巻いている。
そもそも、逆上せないようにと湯温から湯量、換気状態まで念入りに調節をしていたのだ。リリーナもヒイロと一緒に泡風呂の準備をしていた以上、そのことは把握しているだろうし、折角なので水分補給も兼ねてとフルーツジュースを持ち込んでさえいる。
確かにリリーナの身体は火照り、全身から力が抜けている。しかし、それらは血行が良くなれば表れる当然の変化であり、『逆上せた』とは程遠い。
それなのに、そのことは分かっている筈なのに、敢えてそう口にするということは、つまり。
「ヒイロ……ッ、わっ!」
一向に返事の無いヒイロの顔を仰ぎ見ようとしたその瞬間、リリーナの身体が突然ぐっと重くなる。咄嗟にしがみついた肩は泡で滑っていたが、背中に回る腕のお陰で不安定さは感じない。
「……休ませてやれそうに無いが」
いいのか、と唇の動きだけで続く言葉が発せられる。ただ静かに答えを待つ瞳にリリーナは口を開きかけたが何かを言うことは無く、返事の代わりとしてヒイロの唇に己のそれをちょん、と重ねた。