PHANTASMAGORIA

ライン画像

 まるで航空障害灯のように、瞼の裏にとあるビジョンが現れては消えていく。薄れていく輪郭を名残惜しむ暇も無く、また次の色彩がぼんやりと浮かび上がってくる。
 雪に霞むクリスマスのイルミネーション。あるいは露に濡れた硝子越しの水彩画。風景ばかりの静止画は統一性に欠けているようで、その実、決まって何者かの気配がしていた。
 その笑顔の持ち主は誰だったか。この匂いは誰の髪から香るものなのか。
 その体温は、その声は、何故ここまで近いのか。
「────ヒイロ?」
 ぽつりと落ちた声をよすがにして、散らばっていた意識が急速に収束される。ホワイトノイズの混じった静寂の中、二人分の呼吸音と計器の無機質な電子音が途切れ途切れに耳に入ってきた。
 脳波を制御して状況確認をするより先に指を動かしてしまったのは条件反射と言う他無い。聞こえてきた声はあまりにも弱々しく、指先を包み込む手は自分よりもはるかに冷たかったのだから。
「起きたのね、ヒイロ」
 手の甲に頬が擦り寄せられる。どうやら冷えていたのは末端だけのようで、伝わる温度は自分と同等のものだった。
「あの後、マリーメイアは病院に運ばれたわ。今も手術は続いているけれど、一命は取り留めたようです」
 ヒイロは無意味な抵抗という名の寝たふりを続けながらリリーナの説明に耳を傾ける。とっくにヒイロが起きていることはリリーナも知っているのだろう。だからこそ、こうして言葉を紡いでいるのだ。普段よりも間の少ない、堰を切ったような話し方で。
「あなたも病院で検査と治療を受けました。でも、この人には自然治癒がいちばんだと言われて、すぐに退院させられていたわ。だから、今は私の家にいます」
……説明を省くな」
 しかし、最後の言葉には流石に口を挟まない訳にもいかなくなり、ヒイロは目を開ける同時にそう呟いた。平常よりもぐっと落とされた声量でのものとなったが、すぐ近くで聞いていたリリーナには伝わったようで、完璧に整えられた笑顔が返ってきた。
「あなたも知っている通り、私は今回誘拐されてしまいました。ですので、同じことが今後起きないように、私の身辺警護をしてくださる方をレディさんが連れてきてくれたのです」
……………………
 ヒイロは己の指を撫でているリリーナの横顔を眺めていた。
 言われたことをどれだけ脳内で反芻しても、その内容はあまりにもヒイロにとって都合の良い、そして同時に断りにくいものだ。単なる療養目的なら数日の滞在で足りるが、身辺警護、それもリリーナのとなると話は別だ。病人にそれをやらせるのかという疑問はこの際置いておく。
……了解した」
「でしたら、早速食事をしましょう。食べやすいものをお願いしてあるわ」
 了承の意を示せば、待ってましたと言わんばかりにリリーナは部屋の外へ駆け出していく。流れる髪の軌跡が視界から消えていくのを見送ってやっと、ヒイロは静かに身体を起こした。
 自由になった右手をゆっくりと閉じ、そしてまた開く。手のひらに宿った体温はまるでそれ自体が何かの傷口であるかのようにじくじくと疼き、再びリリーナが戻って来るまでの間、それが治まることは無かった。

Page Top