A LITTLE GIRL

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 病室の扉を開けたヒイロを待ち構えていたのはまだ幼い少女だった。小さな両の手が握る銃は真っ直ぐヒイロへ向けられている。
「白状しなさい、ヒイロ・ユイ。あなたに黙秘権はありません」
 少女はそう言うや否や、躊躇い無く引き金にかけた指に力を込める。勢い良く発射されたそれは寸分の狂いも無くヒイロの眉間に的中した。
…………何のつもりだ」
 ぱたぱたと前髪から滴り落ちるのは血液……では無い。無色透明、無味無臭。何の変哲も無いただの水だ。
 少女は満足そうに笑うと水鉄砲を下げ、膝の上に置いた。口の端をつり上げる笑い方からは年相応の無邪気さが滲み、数ヶ月前に見かけた時とは異なる印象を受けた。
「ちょっとした挨拶です。ふふふっ……
 少女の名はマリーメイア・バートン。別姓をクシュリナーダ。かつては地球圏統一国家に対して蜂起した反乱軍の指導者でもあった。

 
 
「あなたも療養中であると聞きました」
「ああ」 
「不思議に思いませんか? 病人が病人のお見舞いをするだなんて」
 水鉄砲をマリーメイアは天井に向ける。ヒイロによって水の抜かれた状態では、引き金を引いても空気の抜ける間抜けな音が鳴るだけだ。
 だが、それが楽しいのだろう。マリーメイアは会話に空白が生まれる度、それを埋めるかのように音の弾丸を放っていた。
「俺はリリーナの代理だ」
 そう。今日は元々リリーナが療養中のマリーメイアの元を訪れる予定だったのだが、大統領選挙に向けての会談の準備で急遽そちらに顔を出さなければならなくなった。しかし、事前に病院に連絡を入れて訪問の予約をしてあった以上、直前で取り止めにして貰うのも心苦しい。
 そんな訳で、ドーリアン邸の外掃除しか予定の無かったヒイロに白羽の矢が立ったのだ。
「リリーナさんはお元気ですか?」
「異常は無い。ただ……、」
「ただ?」
 不意に途切れた言葉の続きをマリーメイアは促す。ヒイロは続きを言うべきか否かを数秒考えていたが、やがて、どこか諦めたように口を開いた。
……活発が過ぎる」
 腕を組んで壁際に立つヒイロの脳裏を過ぎるのは、己を自宅であるドーリアン邸に引き取ってからのリリーナの姿だ。
 外務次官の職を退いたからといってリリーナの本質が変わる訳では無い。一歩引いた立場に身を置いたからこそ分かることもあるのだと嬉しそうに話していた。 
 記憶の中の姿より、実際に目の当たりにする輝きの方が常に眩い。直視すれば目を焼かれてしまいそうな鮮烈さが、却って目を離す隙を奪う。ヒイロはその程度が日に日に増している気がしてならないのだ。
…………ふふっ、考えてみればすぐに分かることでしたね」
「何だ」
「あなたが元気では無いリリーナさんを一人にしてここに来る筈がありません。違いますか?」
……………………
 黙り込んだヒイロを見て、とうとうマリーメイアは全身を震わせて笑い始めた。怪我に障るのではないかと頭の片隅で思うものの、きっと己が何を言ってもこの少女の笑いを増長させてしまうのだろう。
 マリーメイアはそれからも笑っていたが、やっと落ち着いた辺りで深く息を吸い込むと、ヒイロに向かってこう言い放った。
「ヒイロ・ユイ。あなたに任務を与えます」
「断る」
「でしたら、言い方を変えましょう。私からひとつ、ひとつだけお願いがあります」
 ヒイロはやっとそこでマリーメイアと視線を合わせる。暫くの沈黙の後、先に動いたのはマリーメイアだった。
「リリーナさんに伝えて頂きたいのです。『ありがとう』と」
 瞳は閉ざされ、少しだけ伸びた前髪がはらりと垂れる。車椅子でその姿勢を保つのは不安定だろうに、マリーメイアは両手を膝の上で揃え、綺麗な礼をしてそう言った。
……レディ・アンか」
  ヒイロはそんなマリーメイアに対してすぐに明確な答えを返さなかった。ただ、言い回しといい、態度といい、どこか自分のよく知る人間の影が見え隠れしている。公には出られないマリーメイアにそれを教えることのできる人物となれば、選択肢はおのずと限られてくる。
「リリーナさんの話もよくして貰っています。そうですね……
 マリーメイアは姿勢を直すと、聞いたというリリーナの話を次々に挙げ始めた。立ち振る舞いや公務の取り組みへの姿勢に、訪問した地域住民のとのささやかなエピソード、果ては最近気にしていたという紅茶の店がどれという話まで。指で数えながら思いつく限りを口にしている。
 その様子は昨年の末に演説をしていた姿からは到底想像もつかないものだった。この病室の主もまた時代の被害者であり、そして同時にただの子供でしか無い。これが本来の、歳相応の姿なのだろう。
 ヒイロは静かに息をつくと、マリーメイアの話が一段落した辺りで短く言った。 
「直接言え」
「え……?」
 マリーメイアはヒイロを見てぱちりと瞬きをした。突然のことだったので何について言及しているのかが分からなかったのだ。だが、自分で考えようとするより早く、本人の口から説明が付け加えられた。
「それができない世界じゃない」
 その言葉でようやくマリーメイアは理解した。ヒイロの発言が何についての返答だったのかも、その内容の示すところも。
「ですが、ヒイロ・ユイ。そう言うあなたはちゃんとリリーナさんに直接言葉を伝えているのですか?」
……………………
「ふふふっ」
 昨年の春、バースデーカードを破り捨てながら似たことを言ってきたリリーナの姿がヒイロの脳裏を過る。表情には出さずに苦々しい心持ちでいる彼が、妙なところで似なくていいと内心で思ったかどうかは誰かの知るところでは無い。
 ただ、その日を境にしてヒイロ・ユイの口数が特定の相手に対してのみ少しだけ増えたことは、紛れも無い周知の事実である。
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