INTRUDER

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 仮にも異性の、それも、己と同じ年頃の相手に不法侵入を許容しているのは、一体どのような意図があっての行動なのだろうか。
 ヒイロ・ユイは窓越しに部屋の中を確認し、内心で溜息をついた。最初から無いに等しかった筈の躊躇がここに来て膨らんできたが、頭を振って脳内から無理矢理追い出す。本来躊躇うべきはこれを許容した彼女であり、自分では無いのだから。
…………入るぞ」
 かすかな呟きの意味は罪悪感を紛らす為か。そんなものは自己満足に過ぎないと囁く理性はこの際無視する。 
 驚くことに窓には最初から鍵がかかっていなかった。自分のように誰かが入ってきたらどうするのかという心配と苛立ちの混ざった感情が身体の内側で大きな渦を巻き始める。
 そんなヒイロの複雑な心境は部屋に入っても収まることは無く、程度はむしろ悪化していくばかりだ。部屋の中央に位置するソファーの上では、バスローブ姿のままのリリーナが静かに寝息を立てていた。少しばかり身体が冷えてしまっているのだろう。まるで胎児のように背中を曲げて隅の方で丸まっている。
 何をどうすればここまで無防備になれるのか。ある種の感動を覚えつつも、このまま寝かせておけば確実に体調に障るだろうと思い、ヒイロはリリーナに声をかけた。
……リリーナ」
「ん…………ん、ひい、ろ……?」
「そうだ」
 長い睫毛がふるりと震える。薄く開いた瞳からは星明かりも霞むような澄んだ青が射し込み、ゆっくりと立ったままのヒイロを捉えた。たっぷりと時間をかけてリリーナは瞬きをしていたが、やがておもむろに手を動かすと、そのまま自らの頬をきゅっと摘んだ。
……現実、なのね…………
 すぐに引いた小さな痛みも、起こす身体を支えている腕の温度も、夢にしては現実味がありすぎる。丁寧にリリーナの履いていたルームシューズまで置き直してくれている仕草など、夢の中であったとしてもここまで鮮明に再現しきれないだろう。
「夢ならベッドで見ろ」
「私に寝ろと仰るの?」
 それは質問では無く確認だった。偽る必要も無いのでヒイロは無言で肯定の意を示す。まるで御伽噺の王子様のようにリリーナの足にルームシューズを履かせているが、肝心のお姫様は浮かない表情をしていた。
「質の良い休養を効率的に取るのも仕事の内だ」
「それは私も同じ意見です。ですが、あなたが来たからには、私だけが眠る訳にはいきません」
 声音が、口調が、外務次官としてのリリーナのものへ変わっていく。言葉の丁寧さと意志の強さを兼ね備えた、大衆が、人々が求めているリリーナの姿。
 だが、それが必要なのは今では無い。少なくとも、ヒイロが求めているものは他にある。
「あなたも……いいえ。あなたの方が、眠れていないのでしょう?」
 リリーナの指がヒイロの目の縁をなぞる。訓練の末に完成された肉体ではどう頑張っても隈などできないのだが、リリーナは存在しない筈のそれが見えているかのように手を動かしていた。
「これを言うのも何度目かしら。私と居る時は眠れるなら、いつでも来て良いのよ?」
……………………
 予想外の、しかし、ある意味では想像していた切り返しにヒイロは黙り込む。眠らないと意地を張る理由はリリーナの性格を考えればすぐに分かることではあったが、自分の侵入を許容どころか歓迎するのはいかがなものなのか。信用や信頼の裏返しだとしても度が過ぎている。
「俺が来たとして、何か得をするのか」
「ええ。とても」
……おまえの寝る時間が減るだろう」
「その分だけあなたと話せるわ」
「寝ろ」
「あなたもよ」
 リリーナが息を零して笑う度、首筋から甘い匂いが漂ってくる。過敏になり始めた五感からの情報はこれ以上の長居は危険だという結論を弾き出し、脳内に盛大な警告音を鳴り響かせている。
 それらの雑音を溜息で黙らせると、ヒイロは手を取ってリリーナを立たせた。不思議そうに視線を向けてくる瞳はあまりにも澄んでいて、だからこそその中に映り込む自分の姿がひどく場違いのように思えて仕方がない。
…………30分だけだ」
「ヒイロ、それは……
「早く寝ろ」
 妥協、もしくは譲歩か。二度目の忠告は随分と小声になってしまった。リリーナは繋がれた手とヒイロの顔を交互に見ていたが、言われた意味を理解したのだろう、一旦目を伏せた後、意識して作られたものでは無い、素の笑顔をふわりと浮かべた。
「子守唄は何が良いかしら?」
 ソファーからベッドは数歩しか離れていない。靴を脱いでベッドに上がると、毛布をかける暇も無く手が握り直された。
 伝わってくる熱は眠気の影響か、それとも他の理由からか。頬に当たるシーツの冷たさがやけに遠く感じる。
「必要無い」
「私が歌いたいだけ、と言えば?」
…………好きにすればいい」
 眠る時に何かを聴く習慣は互いに無い。子守唄は起きている為の単なる口実に過ぎず、ヒイロに至っては些細な音の変化でも意識が浮上してしまう。リリーナの傍で眠るのであれば、尚更。
 それでもこの独奏会リサイタルを拒む気は起きず、リリーナの声と心音に集中している内に、ヒイロはいつの間にか目を閉じていた。
「ヒイロ?」
 30分はとうに過ぎている。リリーナが声をかけてみても返事は無く、規則的な呼吸音がすぐ近くから聞こえるだけだった。
……おやすみなさい、ヒイロ」
 良い夢を、と心の中で続けた言葉が聞こえたかのように、ヒイロの表情が僅かに和らいだ。その様子を見届けたリリーナは微笑み、そして自分も夢の中へと旅立っていくのであった。
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